親日国パラオ

パラオ共和国は南太平洋の人口僅か2万人の国である。

4月8~9日の天皇、皇后両陛下によるパラオご訪問でパラオ国民の異常な親日ぶりが部分的にではあるが報道されていたのは記憶に新しい。

なぜパラオがここまで親日的であるのか?

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それは東アジア・東南アジア・南太平洋における日本の統治が欧米列強のそれとは全く異なるものであったという、意外と多くの日本人が知らない真実に基づいているので日本人なら是非知っておきたい。

というよりも、それを知らずして大東亜戦争を語るべきではないと思う。

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パラオの歴史

まずは16世紀以降のパラオの歴史を簡単に見てみよう。

ウィキペディアより

スペインの植民地

16世紀頃から、海運の進歩の結果ミクロネシア諸島にもヨーロッパ人が訪れるようになり、スペイン人が初めて渡来し、次いでポルトガル人、イギリス人がやってきた。

パラオも1885年にスペインの植民地下に入った。

これらのヨーロッパ人により天然痘などが持ち込まれ、また現地人に対する搾取が行われた結果、パラオの人口は90%程度減少したとされる。

ドイツの植民地

1899年に、国力が衰退の一途を辿っていたスペインは、グアムを除くスペイン領ミクロネシアを450万ドルでドイツに売却、パラオもこれに含まれ以降ドイツ植民地となった。

ドイツはパラオでココナッツ、タピオカ栽培、アンガウルにおけるリン鉱石採掘などの産業振興を行った。

しかし、他のドイツの植民地と同様に、道路や水道などのインフラストラクチャーの整備や現地人への教育はほとんど行われなかった。

1914年に第一次世界大戦が開始されると、イギリスやアメリカなどと同じ連合国の一国であり、ドイツに対して宣戦を布告した日本が海軍を派遣し、ドイツ守備隊を降伏させてこれを占領した。

日本の委任統治

第一次世界大戦の戦後処理をするパリ講和会議によって、パラオはドイツの植民地支配を脱し日本の委任統治領になった。

コロールには南洋庁及び南洋庁西部支庁(パラオ支庁)が置かれ、パラオは周辺諸島の中核的な島となり、多くの日本人が移住しパラオ支庁管内の住民の4人に3人は日本人となった(軍人を除く昭和18年6月末時点の居住者33,960人の内訳:内地人(内地出身日本人)25,026人、朝鮮人(朝鮮半島出身日本人)2,460人、パラオ人先住民6,474人、他にスペイン人・ドイツ人宣教師18人)。

日本の統治が始まってからは、ドイツの統治下ではほとんど進んでいなかった学校や病院、道路など各種インフラストラクチャーの整備も重点的に行われ、1920年代頃になるとコロールは近代的な町並みへとその姿を変貌させていった。

また、日本統治の開始にともない日本語による学校教育が現地人に対しても行われるようになった。

ただし、本科3年補習科2年の課程であり、日本人子弟とは学校が別だった(公学校)。

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日本語もわからないうちに日本歴史・地理・理科などを教えるのは島民児童や教員への負担が大きく困難だとして民政時代には3科目を省くなどパラオの実態を考え、変更を重ねた。現地用の教科書編纂のため南洋庁の書記として赴任していた中島敦(後に作家となる)は、現地住民がおかれた状況を悲観的に分析した手紙を家族に送っている。

日本は1933年に国際連盟から脱退したが、「統治委任はパリ講和会議によるもの」と主張して、国際連盟の加盟諸国もこれを認めたために委任統治を続けた。

なお、国際連盟からの脱退により、国際連盟の「委任統治領に軍事施設を建設してはならない」という規則の制約から逃れた日本は、各地に海軍の関連施設を建設した。

第二次世界大戦(太平洋戦争)が始まると、コロールは海軍の重要な基地として北西太平洋方面の作戦拠点となった。

そのため、西方のフィリピン戦線の状況と連動して連合軍の攻撃対象となり、1944年にはペリリューの戦いなどで両軍に多くの戦死者を出した。

なお、ペリリュー島の戦いではパラオ民間人の死者はなかった。しかし、日本国籍を持たない現地人であっても、パラオ挺身隊などに軍属として動員されることがあった。

1945年8月に日本の統治が終了したものの、現在でも非常に親日的でかつ多くの日本人観光客が訪れている上、アメリカに次いで日本から多くの援助を受けている。

パラオの統治は、台湾や朝鮮の統治を模倣した

日本が戦ってくれて感謝しています アジアが賞賛する日本とあの戦争 井上和彦 より

日本が戦ってくれて感謝しています アジアが賞賛する日本とあの戦争

独立までの道のりは決して安易なものではなかったが、実はその基礎となったのが日本の委任統治時代の近代化だった。

かつてスペイン領だったパラオ諸島は、19世紀末にドイツに売却され、第一次世界大戦後から30年間、日本の委任統治が行われたのである。

~中略~

そして日本からは大量の移民が押し寄せ、その人口は現地民の4倍にもなったという。

そうした邦人移民は漁業や燐鉱石の採掘で生計を立て、また鰹節の生産や米の栽培にも取り組んだ。

日本統治時代のパラオでは、台湾や朝鮮の統治に倣って、インフラ整備をはじめ教育制度や医療施設の整備が行われ、生活水準の向上が積極的に推し進められていたのだ。

当時、英国『ロンドン・タイムズ』の記者は、「内南洋の人々は、世界の列強植民地の中で、最も丁寧に行政されている」と報じている。

さて、日本による東アジア・東南アジア・南太平洋の統治は一様に上記のように現地への持ち出しよりも投資が上回るものであり、終戦後の各国の独立の礎となっている事は間違いのない事実だ。

戦後の反日教育で記憶からかき消された真実は、パラオの国民の記憶にはしっかりと残っている。

これこそが日本人なら是非とも知っておくべき真実である。

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