日本が大嫌いな大江健三郎の慰安婦批判

朝日の慰安婦報道における強制連行が事実無根であったと判明するや、日本叩きの材料として慰安婦制度で「女性の人権を軽じた点」を反省せよという流れが主流になってきた。

果たしで慰安婦制度は、日本が女性の人権を軽んじていたがゆえに成立したのだろうか?

特殊慰安施設協会

GHQ

ウィキペディアより

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概要
米軍は公娼制度を認めず慰安所を置かないことが判明しており、占領軍による日本の一般女性に対するレイプ事件が予測されたため、日本政府は「日本女性の貞操を守る犠牲として愛国心のある女性」(ニコラス・クリストフによる)を募集し、連合軍向けの慰安所を設立。総計55,000人(あるいは53,000人とも)が集まった。

その後1946年に、ポツダム命令による公娼制度廃止の方針と、前アメリカ大統領(当時)フランクリン・ルーズベルト夫人エレノア・ルーズベルトの反対、加えて性病の蔓延を理由としてGHQにより特殊慰安施設は廃止された。

特に性病に関しては、東京などを除けば衛生管理が不徹底だったため、敗戦の混乱と相俟って慰安婦の6割が梅毒など何らかの性病に罹患していた。

RAAとは別に、米軍の女性兵士用の「慰安夫」も存在した。

百瀬孝らによれば、昭和21年に名古屋に進駐した女性兵士用に採用された男性は、内臓、眼、皮膚、血液、尿の検査を受け、松坂屋近くの木造アパートに数名の男性と一人一室が与えられ、半年間特定の女性伍長の専属になった。勤務は一日置き。

食料は潤沢に与えられたが、体力的には過酷だったという。

特殊慰安施設協会(とくしゅいあんしせつきょうかい)は、第二次世界大戦後、連合国軍占領下の日本政府によって作られた同軍兵士の相手をする売春婦(慰安婦)がいた慰安所である。

~中略~

米軍は公娼制度を認めず慰安所を置かないことが判明しており、占領軍による日本の一般女性に対するレイプ事件が予測されたため、日本政府は「日本女性の貞操を守る犠牲として愛国心のある女性」(ニコラス・クリストフによる)を募集し、連合軍向けの慰安所を設立。総計55,000人(あるいは53,000人とも)が集まった。

設立背景

以下の三点が設立背景とされる。

ヨーロッパの戦場で、米軍によるレイプの被害者が14000人(ドイツ人女性 11040人)いたこと。

第二次世界大戦当時、アメリカ軍は慰安所を設置しておらず、ノルマンディーに上陸したアメリカ軍が多数のフランス女性をレイプし、性交を行っている姿を見ないで街を歩くことが出来ないほどの状態になったためル・アーヴルでは市長が郊外に慰安所の設置をアメリカ軍指揮官に懇願したがアメリカ軍はこれを拒否している。

沖縄戦では米軍上陸後、強姦が多発したこと。米軍兵士により強姦された女性数を10000人と推定する見解もある。

“In Okinawa, US troops are estimated to have raped 10,000 Japanese women during World War II”。

アメリカ軍が日本に進駐した際、最初の10日間、神奈川県下では1336件の強姦事件が発生したこと。

占領直後の性的暴行や強姦の件数については確定していないが、藤目ゆきによれば上陸後一ヶ月だけでも最低3500人以上の女性が連合軍兵士によって被害をうけた。

~中略~

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すでに占領直後に、占領軍がこの種の「サービス」を提供するよう命じたともいわれ、1945年8月22日付で発令された内務省警保局「連合軍進駐経緯ニ関スル件」という文書の最後の項目に「聯合軍進駐ニ伴ヒ宿舎輸送設備(自動車、トラック等)慰安所等斡旋ヲ要求シ居リ」と記されている。

また、同日には、連合軍の新聞記者からも「日本にそういう施設があることと思い、大いに期待している」との情報が伝えられていた。また佐官級の兵士が東京丸の内警察署に来て、「女を世話しろ」ということもあった

GHQ軍医総監による要請と東京都令第一号

占領軍はRAAだけでは満足できずに、GHQの軍医総監と公衆衛生福祉局長サムス大佐が9月28日に、東京都衛生局防疫課長与謝野光に対して、都内で焼け残った花街5カ所と売春街17カ所に触れながら、占領軍用の女性を世話してくれと要求した。

また、与謝野光は将校、白人兵士、黒人兵士用の仕分けの相談も応じた。

まとめるとこうなる。

・米軍は戦地や占領地で現地女性に陵辱の限りを尽くした。

・日本でも同様の懸念があったが、案の定、占領直後から米兵による日本人女性の強姦が多発した。

・GHQの要請もあり、一般人女性の純潔を守る為、慰安所が設置された。

・女性ばかりではなく、男性も女性の兵士を相手にする慰安夫として募集された。

つまり、慰安婦制度とは現地の女性を守る為の制度であり、むしろ女性の人権を尊重しようとした為に作られた制度であると言える。

戦中の慰安所の設立も現地の女性を守る為であったことは今更言うまでもないだろう。

それでも日本が対嫌いな大江健三郎

ノーベル文学賞、芥川賞作家の大江健三郎は、戦後の左翼思想の中核なしてきた人物だが、未だに真実を見ようとせずに感情を先走らせた持論を展開し、日本を貶める事に熱心である。
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米軍向け慰安婦を動員、のちに首相になった池田隼人 朝鮮日報

「同一犯の仕業」という表現を知っていますか? 同じ犯罪が繰り返されるときに使います。

太平洋戦争に敗れた後、日本で行われた米軍向けの慰安婦の動員が、まさにこのケースに当たります。

日本は敗戦の3日後、占領軍たる米軍に性的サービスを提供するため慰安所を設置し、全国で慰安婦を募集しました。

これも、国が音頭を取って実行したことでした。当時大蔵省の官僚だった池田勇人(後の首相)と、内務省の橋本政実・警保局長が主役でした。

自国内で、それも後に首相になる人物と治安の責任者が、公娼制度の設立を主導しました。

それにもかかわらず、外部に対しては「やっていない」と言い張っているのです。日本では水が漏れる器が、植民地では水が漏れなかったというのです。しかし、穴のあいた器は、どこであろうと水が漏れます。

~中略~

なぜ日本は、女性にこういうことをするのでしょうか。大江健三郎は、根深い女性差別意識をその理由として挙げています。日本の国民文学として愛されている『忠臣蔵』でも、この点を確認できます。

戦中戦後を問わず、なぜ日本が慰安所を必要としたのか?

歴史の真実を探れば簡単に答えは出よう。

慰安婦の強制性が否定され、女性の人権問題にすりかえられた現在、日本がやらなければならない事は「なぜ日本が慰安所を必要としたのか?」という背景の説明である。

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