左翼ジャーナリスト 青木理の植村擁護

左翼ジャーナリストの青木理(あおきさとし)が、朝日新聞と植村隆バッシングを異常と批判しているが、妙な例えを引き合いに出して国民を誤魔化そうという意図が丸見えである。

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慰安婦問題で過熱。“朝日バッシング”から見えてくる日本の言論状況の危うさ [2015年02月03日] 週プレNEWS

青木 提訴に関しては賛成でも反対でもないけど、植村さんに関して言えば常軌を逸した攻撃を受けた。それもほぼ根拠のない攻撃を受けて、朝日バッシングのシンボルみたいになってしまっている。

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誤報を批判するのはいいんです。朝日は偉そうにしてるし、給料はいいし、影響力も強いし、叩かれるのはしょうがない。でも、誤報なんてこの仕事をしていれば誰だってしている。例えば朝日新聞に限らず、イラク戦争のときにイラクには大量破壊兵器があるって書いたのに、それに関してはどこも謝罪していないし、検証もしていない。冤罪事件もそうです。

それを知らんふりしてよく叩けるなと。そして叩き方ですよね。メディアの仕事って日常的に国益を損ねるわけです。短期的には国益を損ねる場合もあるかもしれないけど、市民益になると思うから書くわけです。それを「国益を損ねた」なんて個人攻撃をする。この異常さを誰も言わない。この状況にきちんとおかしいと言わないと、この仕事の根幹が揺らいでしまうと思ったんです。

朝日新聞と植村隆が叩かれているのは、慰安婦報道により日本のが著しく国益を損ね、逆に韓国をや韓国民を利する結果となったからである。

その報道によって現在進行的に日本の国益が失われ続けていた状況下にありながら、朝日は30年以上も放置して謝罪も取り消しもしなかった。

失われた国益に相応しい追求をされて然るべきでなのであるが、そこでイラク戦争の事例を出して相対化しようとするのは故意に論点をずらしているとしか思えない。

青木 今回の話とは別ですが、特定秘密保護法なんて、これはどんな立場、保守だろうがリベラルだろうが、少なくともメディアに関わっている人間は全員反対するべきだと思うんです。でも大して反対の声は上がらない…。最近のメディアの状況は異常だと思うし、その端的な例のひとつが朝日バッシングだと思うのです。

「メディアに関わっている人間は、どんな思想だろうが全て国益を保護しようとしてはならない」と言っているが、本来ジャーナリズムとは真実を曲解なしにありのままに伝える役目を担っている筈だ。

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思想を表に出した為に大誤報を重ねている朝日新聞は論外だが、特定秘密保護法を持ち出して「どんな思想だろうが全て反対せよ!」という主張こそ言論弾圧である。

もはや意味が分からない。

―植村氏が勤める大学にまで脅迫文が届いたことで「言論封じのテロ」とも問題視されています。一方、フランスではテロ事件に端を発して大規模なデモが行なわれました。この状況をどう見ていますか?

青木 それぞれの国家、民族、宗教で触れてほしくないタブーが多かれ少なかれあるわけです。イスラム教徒にとっては、ムハンマドを風刺するのは許せない。もちろんテロは断固容認しません。でも例えば、フランスの週刊誌が日本の皇室をちゃかすようなことを書いていたら日本の人たちは言論の自由を守れと言えるでしょうか。

―テロ事件後も風刺を掲載したシャルリー・エブドの報道姿勢を強く批判する言論は、同じように言論の自由として守られるのか、ということですね。

青木 風刺とかジャーナリズムは、基本的には弱い者が強い者を、少数者が多数者のことをちゃかしたり批判するものです。庶民が権力者を笑い飛ばすのが風刺であって、僕はイスラムの専門家ではないし、欧米のメディア状況に詳しいわけではないけれど、あれは果たして風刺なのだろうか、と思うところもあります。

また、日本人はまず自分の足元を省(かえり)みたほうがいいのではないでしょうか。安倍首相がシャルリー・エブドの事件の直後に、テロは絶対に許されない言論の自由に対する挑戦だと言っていたけれど、朝日バッシングの話でいえば、大学に脅迫文が送られたときに、なぜ自分の足元で行なわれている言論弾圧をもっと強く非難しなかったのでしょうか。

十数人の死者を出したシャルリーエブド事件と植村脅迫事件を比較して、言論の自由を守る為に安倍首相が植村脅迫犯に対して断固とした対応すべきだと公言しないくせに…というのだが、彼は頭がおかしいのだろうか?

植村脅迫事件では、死者も怪我人も出ていない。

電話や郵便による脅迫事件に対して、日本の総理大臣は逐一コメントを発表する立場にない。

上段で青木理の主張は意味が分からないと述べたが、ここでようやく青木理の考え方を理解した。

青木理の主張は、メディアの役割は権力の批判であり、その権力が誤った方向に向かおうが、正しい方向に向かおうがそんな事は関係なしに全て批判せよという事だ。

政府のやる事に対しては、例えそれが国民の為になることであっても批判せよ!と言っているである。

そんなメディアが市民益をもたらす筈などない。

どうやら青木理はただの頭の具合が悪いだけの人だったようだ。

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