ジャーナリスト牧野洋氏の朝日批判はごもっともだが、本当の問題は日本人の精神面

ジャーナリストの牧野洋氏が自らのサラリーマンジャーナリスト時代の経験を踏まえて、朝日の経営姿勢と報道機関としての有り方についての問題点を指摘している。

世間一般的に「大企業」と言われる会社のサラリーマンである私個人としては「なるほど一理ある」と思うのだが、これは何も朝日やマスゴミ業界だけに限った話ではないと思う。

新聞界の再生は「脱サラリーマン記者」宣言から! 朝日・慰安婦報道で第三者委員会が「経営と編集の分離」を指摘 現代ビジネス2014年12月26日(金)

スポンサーリンク

氏は朝日の「経営と編集の分離性」を欠いており、それによりジャーナリストが現場で取材した生の情報に対して経営陣の横槍が入り記事に出来ない、または歪曲した記事に修正され、それが報道の公平性を失わせていると指摘している。

朝日新聞の従軍慰安婦報道を検証するための第三者委員会(委員長=中込秀樹・元名古屋高裁長官)が12月22日に報告書をまとめた。ここでも経営と編集の分離が焦点の一つになった。報告書は次のように指摘している。

〈 報道機関において「経営と編集の分離」の原則を維持し、記者たちによる自由闊達な言論の場を最大限堅持することの重要さについて、いま一度確認すべきである。 〉

慰安婦報道をめぐって経営幹部が編集内容に過剰に介入することがあったからだ。つまり、経営幹部からの圧力によって報道内容がゆがんでいたというのだ。

たとえば今年8月上旬の検証記事。朝日は焦点の「吉田証言」について虚偽と認めたにもかかわらず、紙面上では謝罪しなかった。報告書によれば、検証チームは当初1面掲載の論文や囲み記事で訂正しておわびする紙面案を作成。しかし、社長だった木村伊量(ただかず)氏から反対され、1面の論文で「反省」の意を表明する方針に決まった。

続いて同月末には、ジャーナリストの池上彰氏が連載していたコラムの不掲載を決めた。木村氏は対外的には、不掲載を決めたのは取締役編集担当を務めていた杉浦信之氏であると説明していた。実際は違った。報告書によれば、編集部門は池上氏の原稿をそのまま掲載する予定であったものの、木村氏から難色を示されてそれに抗しきれなかった。

スポンサーリンク

慰安婦報道をめぐっては、朝日は読売や産経などライバル紙からも激しく追及されている。しかし、経営と編集の分離を徹底できず、読者の利益ではなく会社の利益を優先して紙面を作りがちなのは朝日だけではない。新聞界全体にも当てはまる。

記者が上司の顔色ばかり覗いながら記事を書いたり、読者の顔色を覗いながら(つまりこれは売上に繋がる要素の為、必然的に上司の顔色に結びつく部分だと思うが)記事を書いていては公正な報道など出来ないと言うことである。

氏の主張はここから報道機関のシステムとして『経営側と編集部門の人事交流をやめるなどで「脱サラリーマン記者」をスローガンに掲げるのがいいのではないか。』という具合に締め括られている。

これはシステムの改善としては一理あると思う。実際にマスゴミがやるかどうかは別だが。

しかしながら、このようなシステムが必要になる背景として、ジャーナリストや経営陣に公正なる報道姿勢を追及するという志が無いという事実がある。

これは何も報道機関だけに限った事ではない。

政治家や官僚、民間企業のサラリーマン全てに共通する問題として、志や信念よりも己の保身を追及する人間が多い。

私は常に仕事と向き合う時に「この仕事は誰の為の仕事なのか?」と自問自答する。

それは「公共の利益」の為か、「会社の利益」の為か、「上司の保身」の為か、「自分自身の保身」の為か、それとも「部下の利益」の為か。

これを見極めた上で、自分の志や信念と照らし合わせてその仕事をやるかやらないか決めている。

もちろん、私はサラリーマンである為、会社の意向にそぐわない動きをすればマイナス査定を喰らうがそれは承知の上だ。

しかしながら、周りを見渡せば上から下まで常に上司の顔色ばかり覗っている輩が何と多い事だろうか。

私が観察している大部分のサラリーマンの思考の優先順位は1.「自分自身の保身」2.「上司の保身」3.「会社の利益」4.「部下の利益」5.「公共の利益」である。

民間企業ですらこのような思考パターンの人間が増えているのだから、官僚や政治家は言わずもがなである。

政治家も官僚も民間企業のサラリーマンもこれでは、日本は本当に危ないと思う。

日本がここまで大きな国として残れたのは「武士道」即ち自己犠牲の精神を国民が共有していたからこそなのだから。

スポンサーリンク

コメントは受け付けていません。

サブコンテンツ

このページの先頭へ