「The Book Of Virtues」と教育勅語

日本を破壊しようとしている左翼たちは、日本の古い道徳観をしきりに時代遅れと罵り、道徳の特別教科化を批判する事に熱心だが、日本のかつての道徳教育「修身」や「教育勅語」は決して時代遅れなどではない。

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むしろ、これを即刻復活させない日本こそが時代遅れであると気付くべきである。

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海外における修身の復活

日本では、既に過去のものとして社会から消え去ってしまった日本の修身が、アメリカでレーガン大統領の時代に米国の若者への道徳教育の為の新たな指針と言うことで、日本の修身が再認識され、米国の教育の道徳教育で使われるようになったのです。

米国の道徳教育改革を担っていた米国の文部長官を務めたW・ベネット氏は、レーガン政権の道徳教育の担当者としての知識を「The Book of Virtues」(道徳読本)という本にして出版しました。

 このベネット氏の本のオリジナルとなったのが、日本の教育勅語・修身の研究で有名な小池松次先生が、昭和40年代に出版された 『修身・日本と世界』でした。

この「The Book of Virtues」は、現代の第二の聖書と呼ばれるくらいにベストセラーになり、アメリカだけでなくドイツやイギリスにも広がりました。

日本の修身が、現代になって再び認められるようになったということは、日本の失われた道徳教育は正しいものであったということが証明されたので、非常に喜ばしいことです。

このように日本の道徳教育は世界でも普遍的なものとして受け入れられており、田母神俊雄氏によるとこの「The Book Of Virtues」はアメリカで3,000万部と聖書に次ぐ売上部数を誇ってると言う。

道徳の特別教科化に対して様々な批判が出ているのは周知の事実だが、大概の批判は的がずれているし正しくもない。

田原総一朗「『教科格上げ』で失われるプロセス重視の道徳教育」(2014/11/ 4 週刊朝日)

道徳という言葉には、私は強い抵抗感がある。

教師に対する頭の下げ方が足りないとか、返事の声が小さいということで、竹のむちで頭を打たれたり、教室の後ろに立たされたりしたものである。

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とにかく修身というのは押しつけで、反論はおろか、疑問をはさむのも許されなかった。教師の言うことは絶対で、いや応もなかった。

そういう記憶があるので、道徳という言葉がすっきりと受け入れられないのである。

 社会的なモラルやルール、マナーを守ることは大事であり、校内暴力やいじめなどには厳しく対応すべきである。

ただし、一方的な押しつけによって抑え込むのではなく、どうあるべきかを話し合い、多様な意見をぶつけ合うことで、あるべきかたちを見つけ出す。

これが戦前、戦中とは違った民主主義時代のやり方だと私は考えている。

バカだね。

あんたらの言うように学校教育や家庭教育を実施して来た結果、小中学校はどうなったかね?

田原総一朗は個人的な「道徳という言葉に対するイメージ」、つまり左翼の勝手なイメージで「道徳」に暴力的なレッテルを貼っているだけである。

そりゃ、口で言っても集団のルールに従わない奴は殴って言う事を聞かせるしかないんじゃないのか?

それとも生徒同士殴り合いで解決させんのかな?

あ~、なるほど、だから日教組が強い地域では学校が荒れる訳ですな!

まともな道徳観を持った生徒たちにとって、自分勝手な振る舞いで規律を乱す輩は邪魔でしかない。

家庭での道徳教育が出来ていない為に規則に従わずに規律を乱す奴には、教師としても鉄拳制裁も辞さない構えが無ければ彼らは決して従うことは無いだろう。

そもそも論だが、義務教育は国民の貴重な税金を使って学校に通わせてもらっている訳だから、規則に従うのは当然である。

しかしながら、今の日本で体罰を復活させると道徳観が崩壊した教師が個人の感情やストレスの発散の為にこれを行使する危険性が大である。

ところがどっこい、次世代の党・副代表 田母神俊雄はその辺りもお見通しである。

田母神俊雄 政策要綱

7 教育

【6】日本教職員組合など公務員の労働組合は廃止する。公務員の処遇改善のための組織を別途整備する。

【7】師範学校的な組織を整備し、教職員の能力向上を図る。

子供たちに道徳教育を施すと同時に教師の性根を叩き直し、従わなければクビにするくらいまでやらなければ、日本の教育現場は変わらないと私は考える。

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