反日フェミニスト 立命館大学教授 上野千鶴子


えらく頭が良さそうに見える経歴の持ち主だが、主張が滅茶苦茶である。

日本の女が戦争で日本の男に守ってもらわないほうが、敵のもっと「いい男」と出会えるかもしれない
元・東京大学教授、現・立命館大学教授 上野千鶴子

20140815

人類が暮らしを営むには、水と火が不可欠だが、女の役目はいつもこの火と水の管理だった。

水道もガスもない前近代的な暮らしの中では、朝起きて最初の仕事は、家族のために水を確保する
という仕事だった。・・・(途中省略)・・・重労働である。

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この平時の重労働を担ってきたのは、いつも女たちだった。

水汲み女の図は見たことがあるが、水汲み男、というのは聞いたことがない。この重労働を、女に代わって男がやろうと申し出た社会は、どうやら歴史上なさそうなのである。

「かよわい女をたくましい男が守ってきた」という学生に、私はこう答えることにしている――
現実には、強い男が弱い女をいたわってきた例より、強い男が弱い女につけこんできた歴史の方が長いんだよ、と。

そのうえ、女は実のところ、かよわくも何ともなくて、重労働に十分耐える生き物でもあるのだ。

最後に、平時の男たちの怠惰は、いざ戦時に男たちが身を挺して女子供を守る働きによって免責してもらえるだろう、という考えがある。ところでちょっと待てよ、男たちはいったい何から女たちを守ることになるんだろうか。

考えてみると、これもバカバカしいことがわかる。

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男たちは他の男たちと争いを起こして、自分の女たちを守っているだけである。

「守られて」みなければ、敵のほうがもっと「いい男」かもしれないのだ。

ここまでからくりがわかれば、「男は仕事・女は家庭」の性別役割分担が、いったい誰の役に立っているか、よオーく考えなくても、すぐにわかるというものだが、ジョーシキという名の思いこみに囚われている、女の子たちのアタマの中を変えるのも、なかなか苦労ではある。 (上野千鶴子著『女遊び』、121―122ページ)
http://sociology8.seesaa.net/article/290138597.html

こいつは「現実には、強い男が弱い女をいたわってきた例より強い男が弱い女につけこんできた歴史の方が長いんだよ」と言っているが…。

その上「女は実のところ、かよわくも何ともなくて、重労働に十分耐える生き物でもあるのだ」と?

女は強いのか弱いのかどっちだ?

人類は原始時代から、大雑把に言えば家族⇒部族⇒民族⇒国家という単位で繁栄してきた。

上記の家族や部族を繁栄させる為には、男も女も重要であり、男が女を守るのは、家族や部族を繁栄させる為である。

狩猟社会では部族間の戦で敗れれば、男は殺され女は他の部族に奪われ、部族は滅亡の憂き目を見る。

農耕社会であれば男は奴隷として生涯使役される。

おそらく、上野千鶴子氏はそれが分かっていてこう言った主張をしているのだが、部族や民族のアイデンティティというものが彼女の主張の前提には存在しない事になっている。

だから平気で学生にこのような思想を吹き込むのである。

『ここまでからくりがわかれば、「男は仕事・女は家庭」の性別役割分担が、いったい誰の役に立っているか、よオーく考えなくても、すぐにわかるというものだが・・・』

まともな頭ならば、よオーく考えなくても「男は仕事・女は家庭」の性別役割分担が家族や民族、国家の繁栄にどれだけ役に立って来たか分かるだろう。

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